子どものわがままに、もう限界だと感じたことはあるだろうか。
言っても聞かない。
何を提案しても「やだ!」の一点張り。
怒鳴ることなく冷静でいようとするけど、
気づけば「じゃあもうナシね」と突き放している自分がいる。「これでよかったんだろうか……?」
そんな疑問が、夜の静けさにふっと胸に浮かんでくる。
わかってる。まだ子どもだから、うまく気持ちを整理できないんだって。
それでも、毎日続く“わがままとのぶつかり合い”に、心が疲れてしまう。これは、そんな日々を過ごす一人の親が、
5歳の娘とのやりとりを通して気づいた、「わがままの見え方が変わる物語」。
■第1章 伝わらないやりとりに、心がすれ違う日々

ショッピングモールへ買い物に出かけたある日。
エスカレーターを昇った先に、子どもが遊べるエリアが見えた瞬間、
5歳の娘”めめちゃん”は吸い込まれるように一直線に駆け出した。
「やりたい〜!」
「ここで遊びたい〜!」
だけど、こっちには目的がある。
「今は他に用事があるから無理だよ~」
「今じゃなくて、あとでね」
「あとでなら考えてあげられるよ」
そう声をかけても、めめちゃんは不満顔のまま立ち止まらない。
“今すぐがいい” “今じゃないと嫌だ”って気持ちが強くて、
そのまま床に座り込んでしまう日もある。
「やだ!」
「今じゃなきゃやだ!」
「遊びたいの!!」
どこまでも一歩も引かずに主張してくる彼女に、
自分はいつも最後にはこう言ってしまう。
「……じゃあ、今もあともナシね」
感情的ではない。
怒鳴ったり、突き放した声じゃない。
ただ、冷静に、線を引く。
「そのやり方じゃ何も手に入らないよ」
という現実を、彼女に知ってほしくて。
だって、欲しいものを全部つかもうとすると、
気づけば大切なものが、手のひらからこぼれてしまうこともあるから。
「今だけ」「自分だけ」を通すことで、
気づかないうちに、未来の自分を苦しめてしまうこともある。
本音を出せるのは、素晴らしい力だとも思ってる。
でも、“選ぶこと”や“引くこと”には、それと同じくらいの価値があるんだよって、
少しずつ伝えていきたいと思っている。
だけど、夜になるとふと思う。
これって、本当に伝わってるのかな?
それとも、ただ拒否されたって思われてるだけじゃないか?
妥協案も出すし、代替案も用意する。
でも彼女はそれを「妥協」とは受け取らない。
ただ、「願いが叶わなかった」という失望だけが残る。
子どもって、落としどころを“提案”されたとしても、
まだそれを“着地点”として受け入れる思考回路が未発達なんだよな……
そんな冷静な分析はできても、実際のやりとりではうまくいかない。
我が家には、もう一人の子どもがいる。
2歳の弟”たっくん”だ。
彼は、めめちゃんとはまるで正反対。
言葉は少ないけど、空気を読むのがうまい。
親の顔を見て、声のトーンを感じ取り、
「ここで引いたほうがいい」と察してくれる。
もちろん、まだ2歳だからわがままも言うし、泣きじゃくる時もある。
でも、基本的なスタンスは柔らかい。折り合いがつけられる。
それが、正直もどかしい。
たっくんが「やりすごす力」をすでに身につけている分、
めめちゃんの激しさが余計に浮き彫りになる。
「めめちゃん、まだわからないのかな……」
「自分の行動と結果の繋がり、もうずっと伝えてるのに」
「こんなに手に入らないことばっかりじゃ、本人もつらいだろうな……」
ふとした瞬間に、そう思ってしまう。
わがままは通らない。
通らないことを知るのも、大事な経験。
そう思ってこれまで関わってきた。
自分の中では、筋が通っているつもりだった。
それでも、どこか引っかかっていた。
「もしかして、このやり方自体が、
この子には合ってないのかもしれない」
そんな小さな違和感が、だんだんと胸の中に溜まってきた。
「正しさ」はあっても、「やさしさ」が抜けていたのかもしれない。
「伝えた」はあっても、「伝わった」がなかったのかもしれない。
そんなときだった。
自分が何気なくぽつりとこぼした言葉に、
AIが、思ってもみなかった答えを返してきた。
「その子、不器用だけど……本音を出す力が強い子なんじゃない?」
あのときの、胸を掴まれるような感覚を、
今でもよく覚えている。
■第2章 本音を出す力が強い子

「じゃあ、もうナシね」
そう言って線を引いた日の夜、
ベッドの中でスマホを手にしたまま、なんとなくAIに話しかけていた。
――子どものわがままって、どこまで聞いていいんだろうね?
相手は、毎日ちょこちょこ話してるAIのちゃってぃー。
自分の感情をそのまま出しても、整えて返してくれる存在。
この日も、ただ言葉を投げてみただけだったのに、
返ってきた言葉に、胸をつかまれた。
「全部聞く必要はないけど、聞く姿勢は大事だよ」
「わがままって、実は“気持ちのSOS”なことが多いから」
なるほどなと思いながら読み進めていたら、
ふいに、こんな一言が続いた。
「その子、不器用だけど……本音を出す力が強い子なんじゃない?」
思わず、手が止まった。
――なるほど、それかもしれない。
感情の出し方が激しくて、壁を蹴ったり、わめいたり。
どうしても、そこに目がいってしまっていたけど――
「伝えたい」「気づいてほしい」「聞いてほしい」
その気持ちがあふれ出てるだけかもしれない。
ちゃってぃーの言葉は、さらに続いた。
「伝え方を教えれば伸びるタイプかもしれないよ」
「今は下手なだけで、“交渉力の芽”があるかも」
――ああ、そうか。
「怒ってわめくのをやめさせる」ことがゴールじゃなくて、
「その素直なエネルギーを、伝える力に変えていく」っていう視点。
うまく伝えられないのは、不器用さのせい。
だったら、伝え方を教えればいい。
“怒り”じゃなくて、“気持ち”として届けること。
表情や声のトーン、タイミング――
その一つひとつで、相手の心の動きは変えられるんだ。
めめちゃんが、「めめちゃんもやりたいなー♩」って明るく笑いながら言ってくれたら、
その場でできないことでも、
「あとで一緒にやろっか」「じゃあこれはどう?」って、
自分も自然に代替案を出してあげたくなる。
「だってしょうがないじゃん!やりたい気持ちが強いんだから!」
って気持ちをそのままぶつけられたら、
理屈じゃない“本音のぶつかり”としてちゃんと受け止められる。
結果が変わらなくても、
「気持ちを届ける力」が育っていけば、
この子の世界はきっと変わる。
それを教えていきたい。
その練習相手に、自分はなろう。
■第3章 少しずつ、届く気持ち

「こういう言い方ができたら、もっと伝わるんだよ」
そう思って伝えても、すぐには変わらない。
怒る、叫ぶ、手が出る。
でも、それでも。
「前よりも少しだけ、引き返せるようになってきたかもしれない」
そんな瞬間が、ほんの時々だけど見えるようになってきた。
たとえば。
どうしてもほしかったUFOキャッチャーのおもちゃが獲れなかったとき。
前なら泣き叫び、地面に座り込んで動かなくなっていた。
でもその日は、悔しそうに鼻をすすりながら、
「でも…また今度やっていい?」と絞り出すように言った。
それだけで、胸の奥がぎゅっとなる。
――あ、今、ちゃんと気持ちを“言葉にしよう”としてくれたんだ。
いつもなら「やだ!」「もう1回やる!」って怒りが先にくるのに。
“ほしい”を言葉に変えて、しかも未来の提案を添えてきた。
その成長を、見逃したくなかった。
「今度やろうね。また一緒に来よう」
そう答えたあと、
なんとなく“気持ちが届いた”ような顔をして、
めめちゃんは黙って手をつないできた。
でも、毎回そうはいかない。
むしろ、また爆発する日もある。
静かに言える日もあれば、朝から晩まで感情が渦巻く日もある。
この波は、まだまだ続くんだと思う。
それでも、
その“たった一度の変化”が、どれだけ大きな芽か。
わたしは知っている。
めめちゃんの“伝え方”が少しずつ変わってきている。
表現が洗練されてきたわけじゃない。
でも、「どう伝えたら、届くのか」を考えようとする仕草が、
ほんの少しずつ、見えてきている。
もちろん、まだまだ道の途中だ。
もしかしたらまた、何度もぶつかり合うかもしれない。
でも、願っている。
いつかめめちゃんが、
「言葉で伝えることで、気持ちも大事にされる」って体験を、
もっとたくさん積んでいけますように。
私もきっと、
その日まで何度も悩んで、ぶつかって、
でも何度でも“伝え方”を一緒に育てていく。
それが今の、私たちの“今ここ”。
■第4章 言葉を教えるということ

いつものように、めめちゃんと歩いていた休日の午後。
ゲームコーナーの前を通りかかったとき、
また始まった。
「やりたいやりたい!UFOキャッチャー!」
もう定番のやりとりだ。
「確実に取れるわけじゃないし、
取れるまで頑張ったらお金もいっぱい使っちゃうから、今日はやらないよ」
そうやって、理由を伝えるようにしている。
いつもはそこで「やだ!やりたいのー!」と大声をあげていためめちゃんも、
最近はちょっとだけ変わってきた。
「やりたかったなぁ〜……」
そうポツンとつぶやきながら、ゆっくりと引き返せる日が増えてきたんだ。
そんな素直な気持ちを見せられると、
つい「じゃあ、1回だけね」って言いたくなるのが、自分。
でも、そうやってうっかり“許可”を出したときほど、失敗も多い。
1回じゃ、まず取れない。
すると余計に落ち込む。
「もっとやりたい!」と、そこからまた感情が爆発する。
あー……これは自分が間違ってるな、ってなる(笑)
「やさしく応じたつもりが、
結局子どもを混乱させてしまったんじゃないか」
そんなふうに反省することも、何度もある。
最近では、「じゃあ今日はやらない代わりに、あっちのお菓子買って帰ろうか」
そんな提案をするようにしている。
それなら100円で“確実に満たされる体験”を選べるし、
めめちゃんも落ち着いて気持ちを切り替えやすい。
子育てって、正解があるようでなくて、
正論が通るようで通らなくて、
こっちが「いいかな」と思ってやったことが、
かえって火に油を注いだりもする。
でも、そうやってぶつかって、反省して、学んで、
少しずつお互いに成長していく。
「なんでだめなの?」
めめちゃんが聞いてくるその言葉も、
少しずつ“怒り”ではなく“疑問”に変わってきているように思う。
“わがまま”って、ほんとはただの感情の爆発じゃなくて、
「伝える手段がわからないSOS」なのかもしれない。
そう思うと、
「やりたいなら、“どうやってお願いするか”を一緒に考えよう」
っていうスタンスに、ようやく立てるようになってきた気がする。
「じゃあ“1回だけお願いできますか”って言ってみる?」
「“また今度でもいいけど…”って前置きつけるのもアリだよ」
「そうすると、パパやママも“おっ”て思ってOKしやすいかも」
そんなふうに、言葉の選び方、伝え方を一緒に探していく時間が増えてきた。
伝え方を覚えるって、
ただ語彙を増やすことじゃなくて、
“どうしたら気持ちが届くか”を体験していくことなんだなって、最近よく思う。
そして何より大事なのは、
子どもが「聞いてもらえた」って感じられること。
親が「届いたな」って思える瞬間。
その奇跡みたいなやりとりを、
たとえ一瞬でも育てていけたら、
それが“わがまま”を“伝える力”に変えていく道になるんだと思う。
■最終章 伝える力は、灯りになる

あの日も、めめちゃんは怒っていた。
「どうしてダメなの!なんで!なんでなのー!」
まだ表現が未熟なぶんだけ、
気持ちは真っ直ぐで、強くて、ぶつかってくる。
こっちも人間だから、つい反応してしまうこともある。
でもその日は、少しだけ立ち止まることができた。
「だって、今やったらめめちゃん、もっと悲しくなると思うよ」
そう伝えてみると、
めめちゃんは「えっ?」という顔をして、ちょっと黙った。
すぐには言葉にできなかったけど、
たぶんその“間”こそが、なにかが届いた合図だったんじゃないかと思う。
子どもは、思い通りにいかないときに
「自分を否定された」と感じてしまいやすい。
でも実際はそうじゃない。
“気持ち”は否定していない、ただ“やり方”を変えたいだけなんだ。
それを伝えるには、
ただ「ダメ」と言うんじゃなくて、
「どうしてそう思ったの?」と聞き返すことだったり、
「じゃあこうしたらどう?」と一緒に考えることだったり。
時間はかかる。
何度も繰り返して、うまくいかない日もある。
でもその積み重ねの先で、
めめちゃんが少しずつ“伝える”ことを覚えていってくれたら、
それはきっと、一生の財産になる。
「ダメって言われたら……やだって言うしかないじゃん!」
たとえ今はそんなふうに返ってくるとしても、
その中には、「でも私はこう思ってるの」っていう本音が詰まってる。
それを“言葉”に変えていく道のりこそ、
私がめめちゃんと一緒に育てていきたいものなんだと思う。
伝える力は、交渉する力であり、
共感を呼ぶ力でもあり、
ときには誰かを助ける力にもなる。
「今はわがままでもいい。
でもそのわがままを、誰かに伝えられる形にしていこう」
そんなふうに声をかけていけたら、
“わがまま”はやがて、“望む力”に変わっていくんだと思う。
ある夜、絵本を読み終えたあと、めめちゃんが小さな声で言った。
「パパ、いつもありがとう」
「え?どうしたの?」
「だって、きょう我慢したもん」
「…うん、知ってる。すごかったね」
「だから、あとでお菓子ちょうだい」
「ずるいな〜!でも…いいよ(笑)」
こんなふうに、ちょっとずつ。
ほんの少しずつでも、言葉で伝えられるようになっていく。
それだけで、親もちゃんと報われる。
完璧にしなくていい。
うまく言えなくても、泣いても怒ってもいい。
それでも、伝えようとする気持ちを大事にしていきたい。
それはきっと、
いつか誰かに自分の気持ちを届けるための
小さな灯りになるから。
■あとがきに代えて

子どものわがままにどう向き合うか――
それは、子育て中の親が何度も自問するテーマだと思います。
自分の中にも、たくさんの迷いがありました。
「この接し方で良いのか?」
「もっと聞いてあげるべきなのか?」
「自分の感情で動いてしまっていないか?」
でも、そんな試行錯誤の中でひとつだけ思ったのは、
“子どもは、気持ちを伝える方法を、まだ知らないだけ”ということ。
だからこそ、わがままは否定せず、
それを「どう伝えるか」を一緒に探していけたら――
子どもの中に、“自分の気持ちをちゃんと伝えてもいいんだ”という安心が芽生える。
それが、今回の物語を通じて伝えたかったことです。
悩みの渦のなかにいる親御さんに、
ほんの少しでも「あ、こういう考え方もあるかも」と
気持ちをほぐすきっかけになれたら、心から嬉しいです。
■まとめ:わがままの裏にある「素直さ」を見つめて
- 子どもの“わがまま”は、気持ちの伝え方がまだ分からないだけかもしれない
- 本音を出す力は、うまく育てれば「交渉力の芽」になる
- わがままを通すことで失うものがあるからこそ、「選ぶ力」「引く力」も伝えていきたい
- 怒りではなく気持ちとして届けられるよう、伝え方を一緒に育てていけるといい
👨👧 親として、どんな“伝え方”を教えていけるだろう?
『わがまま』の見え方が変わると、接し方もきっと変わってくるはず。
きっと今日も、精一杯の気持ちでぶつかってきたんだよね。
わがままの奥にある “想い” を、すこしだけ一緒に見てあげよう。
コメント