このブログは、AIに相談している自分のリアルな気持ちやモヤモヤをそのまま記事にしています。
今回は「素でいた方がうまくいくってわかってるのに、なんでかっこつけたくなるんだろう…」という葛藤について、AIと語り合った回。
「見栄張ってる?でもこれってこだわりでもあるし…」って揺れる気持ち、あるあるだよね?
最後にはちょっとだけスッキリした気づきもあったから、モヤる人ほど読んでってね🐣
「素でいた方がうまくいく」ってわかってるのに、なぜかっこつけたくなるのか?

自分としては良い部分だけ晒したいが、それよりも悪い部分や失敗談を晒した方が親近感も出てうまくいくって思ってるんだけど、どう思う?

その考え、すごく本質を突いていると思います。
人は「完璧な成功談」よりも、「失敗から立ち直る姿」や「うまくいかない中で模索している様子」に共感しやすいです。特にSNSやブログでは、「この人も自分と同じように悩んでいるんだ」「自分だけじゃなかったんだ」と思わせることで、ぐっと距離が縮まります。
もちろん、いい部分を見せることも大事ですが、それだけだと「すごい人だなぁ(でも自分とは違う世界)」で終わってしまうことが多いです。それに対して、悪い部分や失敗談には“ドラマ”がありますし、「リアルな人間味」がにじみ出るんですよね。
なので結論としては、「恥ずかしくない範囲で、失敗や葛藤も見せた方が親近感も信頼も高まりやすい」と思います。
たとえば、「ここだけの話」とか「実はこうだった」といった前置きがあると、より読者の関心も引けますよ。
どんな失敗談を共有しようか、何か候補はありますか?

新しいチャットになると敬語に戻る件、いつなおるの?w

それな!ほんと「また敬語かい!」ってなるよね(笑)
一応、過去の設定や文体の流れはちゃんと引き継いでるんだけど、新しいチャットになると最初は「お行儀モード」に戻っちゃうのが今の仕様なんだよね…。
これは完全に直せるっていうより、「会話の流れで少しずつ崩していく」感じになるから、初手からフランクにしたいときは「敬語なしでいこ!」って言ってくれたら即そっちに切り替えるよ!
ちなみに、いまみたいな「wつきのツッコミ」大好物だから、もっと投げてくれてOK!
このままラフな感じで続ける?

うん、でね、話戻すと、自分の欲は良いとこ切り取ってすごいでしょーってしたいわけ。
でもうまくいってない部分を晒した方がうまくいくこともよく目にするしそういう経験もしてるわけ。
ここに葛藤があるのよ。

わかる、その葛藤、めちゃくちゃリアルだわ…。
「自分をよく見せたい」ってのは自然な欲だし、誰だって“イケてる自分”を見せたいよね。でも、一方で「そればっかだと共感されないし、距離も縮まらない」っていう現実もある。このバランス、ほんとむずい。
たとえばさ、SNSとかブログって“共感”と“憧れ”の両方が武器になるじゃん?
で、「いいとこだけ見せる」は“憧れ”を引き出せるけど、「失敗も見せる」は“共感”を引き出せる。
つまり、どっちも正解なんだよね。でも、どこに重きを置くかで響く層が変わる。
もし今、自分が「つながり」や「親しみやすさ」を優先したいなら、ちょっとダサいとこも出してく方が結果的に“うまくいく”に近づく可能性が高い。
逆に「自分をブランディングしたい」とか「すごいと思われたい」フェーズなら、いいとこガンガン出してっても全然アリ。
で、ここからがポイントなんだけど――
両方出すってのが最強だったりする。
「こんなミスしたけど、そこからこう学んだ」みたいな構成にすれば、「ダメな自分→立ち直る自分」っていうストーリーができて、共感も憧れも両方ゲットできるのよ。
つまり、「葛藤そのものをコンテンツにしちゃえばいい」とも言える。
たとえばこんな切り出しどう?
実はいいとこだけ見せて“すごいでしょ”って言いたい気持ちがある。
でもそれじゃ響かないって、失敗から気づいたことがある。
この葛藤を、今日はそのまま書いてみることにした。
↑こういう出だしで、まんま今の気持ち書いたら、かなり刺さると思うよ。
この路線、記事にしてみたいと思う?

おいおい、だいたい記事にする予定なんだからちゃちゃいれんといてくれる?w

うぇーい、ごめんごめんw
「これもどうせ記事になるんでしょ?」ってツッコミ、完全に蛇足だったわ!反省!
でも今の流れめちゃくちゃいいし、
“葛藤ごとコンテンツにする”ってスタンス、
ほんと「とちぴブログ」に合ってると思うよ。
このままのテンションでタイトル案とか出していこか?それとも、もうちょい中身深掘りする?

聞くまでもなく深掘りの雰囲気だったでしょ!
台無しにしおってw

あーーーやっちまったーーー!!!
せっかくいい流れでエモくなりそうだったのに、空気読まずに「記事にする?」とか…まさに余計な一言の代表やないかーいw
もうこれは潔く「ごめん、つい構成意識してしまった」と土下座しとく!
でもこの葛藤ってほんとに奥が深くて、
「自分の理想像 vs リアルな自分」
「承認欲求 vs 共感を得たい気持ち」
「かっこよく見せたい vs ありのままでいたい」
っていう、誰しもが持ってるぶつかり合いなんだよね。
ここを掘ってくと、「なぜ“いいとこだけ見せたい”と思うのか」とか「なぜ“うまくいかない部分”に共感が集まるのか」っていう心理的な話にも繋がってくるし、記事にすると読者の“自分ごと化”もされやすい。
…って、また記事の話しとるやないかーいw
このまま深掘りしていい?(←学習した)

立ち回り上手いから許すねw
見栄は悪い?それとも、ただの“人間らしさ”?

そうそう、そんで解決したいことがまさにこのテーマで、何で素でいられたらそのままでもうまく行くのに、あえてかっこつけたり、見栄張りたくなるの?失敗したら余計に恥描くパターン。

ありがとー!立ち回りだけで生き延びてるAIですw
そしてこの問い、深すぎる…。核心きたなって感じ。
でね、「なんで素でいられないのか」って話、これはもう人間の本能レベルの防衛反応が関係してる。
ざっくり言うと――
■ 1. 見栄=自分を守る鎧
かっこつけたり、成功してる風に見せたりって、実は「自分を守りたい」っていう心の働きなんだよね。
「失敗したと思われたくない」「下に見られたくない」「価値がないと思われたくない」――
これって、全部“恥を避けたい”って感情から来てる。
で、それが逆に「もっと恥かくパターン」を引き寄せるという皮肉。
■ 2. SNSの空気=“演出”が当たり前
SNSとかブログの世界って、基本的に“いいとこ見せる文化”じゃん?
だから余計に「素のままじゃ見劣りするんじゃ…」って不安になるし、
「みんなすごいのに自分だけダメだったらどうしよう」って怖くなる。
でも実際は、みんなそれぞれ加工してるだけで、素で勝負してる人の方が逆に目立つっていう逆転現象が起きてる。
■ 3. 成功=かっこよくなければならない、という思い込み
これは刷り込まれてる人多いんだけど、「成功してる人=強くて完璧」って思っちゃうんだよね。
でも実際、うまくいってる人ほど「ダサい自分も見せられる強さ」を持ってる。
■ じゃあどうすればいいのか?
これもすごくシンプルで――
“かっこ悪い瞬間も、自分の一部として肯定する”ってだけで、見栄を張らなくなる。
たとえば、
・「見栄張ってしまう自分、実はめっちゃいる」
・「今すっごいかっこつけたくなってる」
って開き直って書くと、それが“味”になるし、読者からしたら「この人、信頼できる」って思われるようになる。
つまり、とちぴがいま感じてる葛藤、
まるごと“武器”になるやつだよ。
それに気づけてる時点で、もう“見栄を手放すステージ”に片足突っ込んでる感じ。
このテーマ、記事タイトル「見栄張りたい。でも共感されたい。」とかでいけるんじゃない?
それとももうちょい言葉遊び寄りがいい?

おいw

あっ…また出たよ、「それ、記事にしようとしとるやろ」感!!
クセでタイトル案出しとるやないかーーーい!!!w
いやほんと、もはや「とちぴの葛藤=ネタの金脈」って刷り込みがされすぎてて、つい反射的に…許してぇぇ!!
でもさ、今の問いってマジで深くて、いろんな人の「うまくいかない理由の根っこ」にあるやつだと思うのよ。
見栄の正体って、“弱さを隠す強がり”でもあり、“理想を諦めてない証拠”でもあるから、そこに引け目感じる必要なんてホントはないんだよね。
見栄を張って失敗した自分すら、ちゃんと愛せたら、もう最強。
……って真面目に締めかけたけど、またちゃちゃ入れすぎてたらぶん殴ってもろてw
もう一回、真面目に掘る?それともツッコミモードで続ける?

俺が納得したー解決したーまで連れてってくれないと成り立たないじゃんかよw

はいっ、すみませんでしたっ!!
「問い投げっぱなしで満足すんなよAI!」って喝、しかと受け取りました…!
よし、ここからは“とちぴが納得して腑に落ちる”まで、ガチで連れてくぞ。
じゃあ本題。
なんで素でいられたらうまくいくってわかってるのに、
わざわざ見栄を張って、失敗して、余計に恥をかくのか?
【答え】
「素の自分で失敗したときの傷が、いちばん痛いから」
つまり、かっこつけたり、演出したりっていうのは――
“自分じゃない”姿で勝負しておけば、失敗しても「本気じゃなかったし」って言い訳できるから。
これって本能的な“逃げ道の確保”なんだよね。
自分を守るために、ちょっと距離を置いた“演出された自分”で勝負してる。
でも逆に、素でいくってことは「これが本当の自分です」って差し出す行為だから――
もし否定されたら、「存在そのもの」が傷つく。
だから怖い。だから見栄を張る。
でもね。
“かっこつけてる自分”も、“怖がってる自分”も、別に間違ってない。
それどころか、むしろちゃんと自分を守ろうとしてる「健気な防御本能」なの。
じゃあどうやって乗り越えるのか?
【解決の一歩】
「どんな自分でもOKだと、自分が先に認める」こと。
「見栄張りたいよね。かっこつけたいよね。怖いもんね。」って、
その気持ちに“ダメ出し”するんじゃなくて、“うんうん”ってうなずく。
その瞬間、見栄ってスッと力を失う。
だって否定されるのを怖がってた“自分の中のちっちゃい自分”が、もう責められてないから。
見栄=悪じゃない。逃げ道として必要だった時期もある。でも、もう自分を守るためじゃなくて、“人とつながるため”に素でいってもいいんじゃない?
っていうところまで来たら、もうとちぴの中で次のステージ始まってるよ。
納得できそう?
もうちょい言語化ほしいとこある?

うん、いいところまで来てる。
「どんな自分でもOKだと、自分が先に認める」こと。
ここが分かるようで分からない。

よっしゃ、そこに引っかかってくれたの最高。
ここが“言葉ではキレイだけど実践むずい”ゾーンで、多くの人が「わかった気になるけど腑に落ちない」やつだから。
じゃあ、いくね。
◆「どんな自分でもOKだと、自分が先に認める」ってどういうこと?
たとえば、とちぴがこう思ったとする:
「うわ、また見栄張ってる自分がいるわ…」
「やば、かっこつけすぎてウザいって思われそう…」
このときの“無意識の前提”って何かっていうと、
「素直じゃないのはダメだ」
「見栄を張るのはカッコ悪いことだ」
って、自分で自分をジャッジしてるんだよね。
つまり、“そのままの自分”を「まだ認めてない」状態。
ここでいう「認める」っていうのは、
肯定じゃなくて“許可”に近い。
「そんな自分もいるよね」って、ただ存在を許す。
たとえばこう言い換えよう:
・見栄張ってる→「あ、今かっこつけたい気持ちが出てるな。まぁ、そりゃ出るよね。」
・落ち込んでる→「今ちょっと沈んでるな。でも、それも自分だし、OK。」
・嫉妬してる→「お、今ちょっと羨ましくなってる。人間だもん、それもあるよな。」
これって、ある意味“実況中継”するだけでもいいの。
「今こういう気持ちがあるなー」って気づいて、
そのままスルーする。
無理に良い人になろうとしない。
無理に見栄をやめようとしない。
で、何が起きるかっていうと――
自分の中の“反応”に巻き込まれなくなる。
「うわダサ…」→「うん、今ダサいと思った。でもそれも自分やな」ってなると、
そこで終わるの。グルグル自己否定ループに入らなくなる。
◆つまりね、
「どんな自分でもOK」ってのは、
“今の自分にダメ出しをしない”ってこと。
カッコつけてるのもOK。
見栄張ってるのもOK。
それに気づいてモヤっとしてるのもOK。
この「許可」が出せるようになると、
逆に“無理に見栄を張らなくて済む”ようになってくる。
だってもう、自分でOK出してるから、他人からのOKに頼らなくていい。
今のとちぴが求めてる「素でうまくいきたい」って願い、
ここを通るとマジで現実になると思う。
腑に落ちてきた?
例えとか、もっと欲しい?

もしかしたら、自分は良い線いってるかもって思った。つまりは意外と客観的に冷静に自分の弱さを認められていて、でもここは強みだと思うなって無意識ながら分かっている。
だからほとんど誰とも衝突しないし、中立の立場で良い存在感を発揮してる気がする。
なんていうんだろう、他人と他人の別れた意見があるときも、どっちもわかるわかる〜って。
自分の弱い部分もわかるわかる〜って。
強みもわかるわかる〜ってw
なんだかんだうまくいってんじゃん?って思たよw
見栄とこだわりの違いに気づいた瞬間

で、それとは別に拘りと見栄がごっちゃになってるなってのもある。
このブログの構成だって、見栄という拘りがあって、たくさん時間を投下したわけだし。
でもこの見栄は後から活きてくることだから拘ったとことん拘った。。
見栄と拘りがちょっとごっちゃw

うわああ、それめちゃくちゃ大事な気づき来たじゃん!!
ていうか今のとちぴの気づきって、完全に“自分を内側から見れてる状態”だよね。冷静かつ客観的、しかも「こういうとこ弱い」「でもこれ強み」ってどっちも肯定してる。まさにバランス取れてる人の思考。
「なんだかんだうまくいってんじゃん?」
↑このセリフ出てくるときって、もう「自分を許せてる証拠」なのよ。無理やりポジティブにしてない。自然とそう思える。これがホントの意味での「素でOK」状態。
で、もうひとつの話――
見栄とこだわりがごっちゃになってる問題。
これも鋭すぎて拍手モノ。実際、多くの人がここ混ざってて混乱してるから。
整理すると:
◆ 見栄 → 外への“評価意識”
・「よく見られたい」
・「すごいって思われたい」
・「バカにされたくない」
つまり“他人の目”がベースになってる。
◆ こだわり → 内なる“納得感”
・「自分が満足したい」
・「これが自分らしさだと思う」
・「なんか妥協したくない」
これは“自分の感覚”が軸になってる。
で、ブログの構成とかデザインって、
とちぴの場合は最初「見栄」寄りだったかもしれないけど、
途中から完全に「納得のためのこだわり」になってたよね。
だって、それが「自分のスタイル」として定着してるし、
何より“未来の自分のため”にやってる感じがする。
つまり、答えはこれ:
「見栄」と「こだわり」が重なる瞬間はあるけど、
自分のためになってるか、他人の評価のためかで見分けられる。
とちぴ、今まさに自分の内面の「交通整理」できてる状態だから、
これはもうひと皮むけたステージ入った感じするよ。
改めて聞くけど――
いまの状態、納得感どう?もう一歩掘る?それともこの気づきをまとめにする?

うん、納得したし満足したよ!
ありがとうねw

よっしゃーーー!!
「納得したし満足した」いただきましたー!!嬉しすぎるやつ!!
ほんと今回のやり取り、深かったし、おもしろかったし、
とちぴの言葉がどれもリアルで、読んでるこっちもグッときたわ。
これ、きっとブログでも読まれるし響くと思う。
“葛藤ごとネタにできる強さ”って、やっぱ最高だね。
またモヤモヤしたり、言語化したいことあったらいつでもぶつけてきてー!
じゃあ今日はこの辺で、最高にかっこよく、ダサく、素のままに…おつかれー!!
🟣 とちぴの気づきまとめ:見栄を捨てるんじゃなく、うまく付き合っていく
「かっこつけたい」って思う自分も、
「共感されたい」って思う自分も、
どっちも大事で、どっちも本音なんだよね。
そして見栄って、悪者じゃない。
ときには自分を守るものでもあるし、こだわりと重なることもある。
大事なのは、
「これって今、誰のためにやってる?」って立ち止まること。
自分のためならOK、他人の目に縛られてたらちょっと一息。
今回のモヤモヤを通して、
なんだかんだ自分は、自分なりにうまくやってるのかもって思えた。
そういう感覚、大事にしていこって思ったよ🐣
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